●音響ジャムセッション、はどのように始まったか ●

kutaja2007-07-09

●音響ジャムセッション、はどのように始まったか

『音響ジャムセッション』とは、2002年から2003年にかけてやっていた「リハーサルなし、音による句会」のような自由なセッションでした。目指すは「白熱しないジャム」あるいは「参加者が演奏中ですら’聴き手’として楽しめるようなセッション」でした。

そんなことが可能なのか?可能だったのだ!

「音響ジャムセッション」の発起人は、元「くじら」のキオトさん。

「くじら」の中でも、ベース、キー ボード、ギター、パーカッション、トランペット、とめまぐるしく担当楽器を変えた彼は、「不定形の音楽の面白さ」をつねに目指してましたが、「音響ジャム セッション」では、さらに彼の「風流人」としての趣が加わり、参加者にも波動が伝わって、独特なものとなりました。

もともと2002年よりも数年前に、音楽ビジネス界には『音響ブーム』というものがあり、その「音響」と、この「音響ジャム」は別物であったので、この名前でよいのか、当初私は疑問に思ったものです。

しかし、キオト氏は、自らの名前を「奇なる音」ではないか、と称し、「音がずれていく妙味』を「おとずれ」(訪れ)と名づけてみたり、くじらのヴォーカルの杉林さんと二人で、笛2本だけの録音をして『ツツヌケ』と称してみたり、日本人が「音」というものに「意味」をこめたり、こめなかったりする事にやたら興味があったようです。

そういう彼にとっての「音響」はもちろん「音」が「響く」ことであり、いわゆる『音響派』のことではなかった。そしてうまい具合に、共演者はそういうことがすぐわかる人々であったのです。

そうして、まるで水墨画に少し色のある絵の具をたらしたような、独自な脱力セッションがうまれることになったのです。

初回の「音響ジャムセッション」のメンバーはたったの3人でした。
1人目が、当然、発起人のキオトさん。
2人目は、最初に相談を受けた、松島玉三郎
3人目は、その松島が誘った、米本実。

キオトさんは、「くじら」を脱退したあとは、多少作曲や、ベーシストとしての仕事をしてましたが、「くじら」の中でももっとも自由人や彼は、自分のペースでしか音楽をやらなくなっていきました。あるときは川原でサクソフォンを吹いていたり、気が向くと「くじら」のメンバーとユニットをやったり、という風雅さです。おそらく、音の「風雅な出会い、あるいは、かたすかし」をやりたくて、このジャムセッションを思いついたと思われる。

さてさて、彼が持ってきた楽器は、まずは、i-book。ノートパソコンに簡単なコード感のあるループを作ってきて、これを鳴らして、そのうえに乗っかろ うという算段なのでした。さらに持ってきた楽器は、ウクレレサクソフォン(彼はサックスではなくサクソフォンという呼び名が好きです)、ケーナ(笛)、 など。

松島は、いちおう民族打楽器奏者ということで、打楽器をたくさん持ち込んだけれど、買ったばかりのDJセットも持ち込んだのでした。かねてより、DJセットを「ダンスミュージックではなく、効果音を出すもの」として使いたかったからです。その他、油彩キャンバスをマレットでたたいて鈍い低音を出してみた り、もみがらが入ったぬいぐるみをマイクの上でたたいた音を、ミキサーをいじってイコライジングを変えてみたり、へんてこなことをやったのです。

電子音楽界では有名人の米本実氏は、自作電子楽器たくさんとカシオトーンを持ち込んだ。自作電子楽器といっても、鍵盤のない発音機で、つまみがたくさんある、なにやらあやしげな機械たち。説明してもわからないと思いますので、彼のHPの自作楽器博物館を観てください。http://homepage3.nifty.com/yonemino/museum/museum.htm

こういう発音機を手にしてしまうと、ついついゼンエイ的な音楽をやりたくなってしまうものですが、あくまでユーモアのある音色とタイミングで、曲に切り込 んでくるのが、米本氏の真骨頂です。ちゃんと、作曲・編曲・演奏のできる人が、いわゆる楽器的でないものを使って、ちゃんとオンガクになるという独自性!

  へんな3人ですよね。
  この、得体のしれない初ライブにいらして
  くださった方々、本当に感謝してます。

当日は、松島のバンドのバイオリンの宮崎響子さんにも飛び入りしていただき、結局奏でられた音楽は、あの「ペンギン・カフェ・オーケストラ」をどことなく思わせるという、脱力音楽に仕上がりました。

そして、会場を提供してくれた、今はなき「渋谷ツインズよしはし」のママさんが持っていたMD機で、この日の演奏をたまたま録音していました。これが録音 されてなかったら、ジャムは1回限りで終わったかもしれません。しかし、録音されたものを聴きなおしたら、本人たちの予想を超えて面白かった!そして、このセッションはだんだんメンバーを増やして続行することになったのです。

●音響ジャムセッション、ははどのように増殖したか 1●

音響ジャムセッションは、会場は同じく渋谷ツインズよしはしを借りて続行することになったのです。
2回目には、くじらのヴォーカリスト杉林恭雄氏が新たに加わりました。
杉林氏が持ってきた楽器は、なんと尺八!

そう、彼はくじらの活動とは別に、趣味で尺八を習い始めていたのです。この頃はもう、習い始めて1年以上たっていて、尺八の生徒さんたちの発表会などにも出演してたらしい。でも、尺八を純邦楽以外に使ってみるのは、これが初めてであったはず。
杉林さんの尺八が加わったため、もともとキオト氏が持ってきていたアンデスの笛ケーナと、笛2本が鳴ることになったのです。2回目の音響ジャムセッションは、この笛2本がからみあいながら、途中から即興のメロディになっていくというパターンが生まれました。それを、米本氏の電子音と、松島の民族打楽器でバッキングしていくと、なんか1回目よりも楽曲的なものに仕上がってしまいました。
「なんか、ちゃんとした曲になっちゃったねえ。いいのかしら・・」
などといいながら進行した2回目。でも、ちゃんととっちらかった感じはみごとに残り、また、へんてこな音のぶつかり合いも健在。松島がターンテーブルでサントラ『タクシードライバー』のセリフの部分をかけると、杉林氏が尺八をもたずにヴォイス・インプロヴィゼーションで挑戦して来たり、キオト+杉林の2本の笛がアドリブしているところに、松島がフルートの多重録音のレコードをヘンな回転数でかぶせてみたり・・・そこにまた、たくみにとぼけた電子音を入れてくる米本氏。
今回はキオト氏が、パソコンを持ってくるのをやめて、コルグのヴォコーダ付きのシンセを持ってきたのも独特の味を出しました。変調されたヴォイスが鍵盤のメロディに乗って鳴り、しかしそこに切り込むのは尺八やアラブの打楽器、カシオトーンの音色などなど・・・という、、どういうグルーヴですか、これ?松島がもちこんだシンセドラムも、全然テクノぽくなく鳴り響き、まあ、2回目もとことん変でした。

(やってるぼくらはおもしろいんだけど、こんな音楽求めてる人いるの?)
・・・とちょっと思ったんですが、また録音を聴きなおしてみると、リスナーとして聴いても、そこそこおもしろいのです。

しかもこのとき、お客様として来てくれていたディジェリドゥ奏者が、私も参加してみたい、と名乗り出てくれてのです。
彼の名前は、米本篤(よねもとあつし)氏。自作電子楽器の米本実氏と、とても似た名前ながら、この篤さんのほうは、電子音楽界ではなく、即興音楽会で多少 知られた人でした。ディジェリドゥとは別に、ヴォイス・パフォーマーとしてヴォイス団Kuuというグループのメンバーだったり、ホーメイ巻上公一氏に 習っていたり、ユニークな人でした。音響ジャムはもともと、ポップ・フィールドの人が即興にアプローチしていたものなのですが、これを見て、ばりばりの即興フィールドの人が面白がってくれたのですね。
でも、つくづく、音響ジャムセッションは、ポップ・フィールドでも、即興フィールドでもない、なんかもっとちがう平面の、脱力音楽だったのです。それは、このセッションが続くにしたがって、どんどん確信にちかいものになってきました。