●音響ジャムセッションはどのようにリリースに至ったか●

kutaja2007-07-08

●音響ジャムセッションは、どのように増殖したか の2●

さてさて、音響ジャムセッションは、ディジェリドゥ奏者の米本篤(よねもとあつし)氏を迎えて、3回目に突入しました。
ディジェリドゥの通奏低音は、ベース奏者のいない低音域を埋めてくれるような感じにフィットしました。そして、ときどきディジェリドゥから口琴に持ち替えたり、ホーメイをしたり、有機的な効果音が加わった感じになりました。

2回目で、すでに「無から楽曲のようなものを立ち上がらせる」ことに成功していたので、逆にそれはねらわずに、お互い気ままに音を出し合ってみました。ときに、とりとめなくなり、ときに、楽曲的になる。このメンバーの持ち味は健在でした。メンバーがふえたため、松島がターンテーブルCDJを持ってくるのをやめて、生のパーカッションだけで挑んだのも、うまく作用したようです。(あまりにもたくさん打楽器を持ち込んだので、杉林さんからは「アート・アンサンブル・オブ・シカゴのステージみたいだ」と言われたっけ)

この3回目には、途中に設けた、1対1対決というコーナーがおもしろく仕上がりました。
杉林さんの尺八と松島のトーキングドラムの即興(CDに未収録)、米本実のカシオトーンと米本篤のディジェリドゥの「ツインズよねもと」対決は、フシギなエレクトリック・ポップ・インストになりました(CDに未収録)。キオト氏のコルグのキーボードと、米本実氏の自作電子楽器の対決は、6分以上のロング・セッションになり、なんか海外の電子音楽およびテクノの市場に出しても恥ずかしくない、緊張と脱力のある録音が残りました(『ヘクトパスカル』というタイトルで「いちじくジャム」に収録)。

この回には、キオト氏がケーナYMOの「ライディーン」のメロディを、スローテンポで奏で出した、というような笑えるパートもありました。ちゃんとみんな、それについて行くからエライ。摩訶不思議なセッションだったのは、米本実氏が弾き始めたカシオトーンのベースラインがラテンの名曲『グアンタナメラ』に似ていたので、つい松島がそのメロディを口ずさんだら、米本篤氏もホーメイを乗せてきて、さらに杉林さんがヴォイス・インプロヴィゼーションをかぶせて来た曲です。3名のヴォイスが、ゆるやかに、とくにハーモニーなどもねらわずに、ベースラインに絡みつきました。これは『100年間でできること』とタイトルをつけて「ざくろジャム」に収録しました。このメンバーによる即興は、いわゆるアドリブ合戦ではなく、むしろ「労働歌」のように、でたらめな歌詞を働きながら歌っているうちに、何がしかが出来上がってきた、というものに近いのでした。たぶん、そういう即興は、いわゆる即興音楽として売られているものの中には、あまりないのではないかと思いました。

この3回目を楽しんで見ていた人の中に、ラップトップ・ミュージシャンの加藤くんがいました。彼は、実は4回目に加わることになる人なのでした。もう、オズの魔法使いより、人数が多いです。ドロシー+かかし+ブリキ男+ライオン、は4名ですが、ジャムは4回目に6名になってしまうのでした。

●音響ジャムセッションは、はどのように飽和したか

音響ジャムセッションは、毎月開催されて、その度ごとに参加者が増えていきました。思えば、会場を提供してくれた渋谷ツインズよしはしさんも、よくこんなフシギなライブを根気良く見守ってくれたもんです(感謝してます)。4回目には、ついにラップトップでの参加者が登場。エレクトロニカ・クリエイターの加藤さんです。ライブ全体ではなく、途中に彼の「音響アプローチ」のコーナーを設け、皆はそれについて行く、という形で参加してもらいました。

この4回目には、ひとつ大胆な試みとして、『会場のPAシステムを使わない』ということをやってみたです!さらには、スピーカーの位置にこだわらなくて良いので、会場のセッティングも、演奏者が真ン中に立ち、まわりにお客様の椅子を配しました。つまり、演奏者がお客様に囲まれるかたちだったのすが、さすがジャムのメンバーはしゃれがわかる。一部の曲では、メンバーは動き回り、逆にお客様取り囲んでみたりしました。

この回に、地道にいい味を出してくれたのは、なんと米本実氏のカシオトーンによるサンプリング機能でした。たった今演奏されたディジェリドゥの低音を録音し、さらにその音程の1オクターブ下を鳴らて重低音を加えたり、サクソフォンを持ち込んだキオト氏のプレイをすかさずサンプリングし、プレイが続行している上にキーを変えて乗せてきたり・・・。目新しい方法でも何でもないのに、実に新鮮な感じに響きました。

しかし4回目を迎えて、みんな何かが「こなれて」きてしまったのでしょうか?
即興は明らかに「洗練度」を増していて、とても楽曲的な仕上がりを見せたのですが、3回目までにあっ「茶目っ気」が発露しませんでした。そう、なんだかフツーの「シリアスな即興」になってしまったのです。・・・即興なんだけど、どこか脱力していて、のれんに腕押し、みたいな不思議な魅力がある・・・といのが、このメンバーのジャムの特徴だったのに、このメンバーでなくてもできる「いわゆる即興音楽」なってしまった気がします。
そんな4回目だったからこそ、加藤さんがラップトップで参加した曲が、逆にみんな「無邪気」にはじけよかったりしました。加藤さんがノートPCの画面をみつめつつ、マウスですごい速度で制御しながら音響の音色を少しずつ変えて行きました。みんなは「とにかくついていくよー」という感じでしたが、他曲で見られた洗練をまったく捨てていて、はしゃぐように音を鳴らしました。このパートが一番ジャらしい『ほとばしりとかたすかし』があったように思います。(『いちじくジャム』に「エレキもなか」というタイトルで収録。加藤さんの名前はDJ名のSUBWAYとなってます)

この4回目を終えて、松島が「ジャムはこの方向でよいのだろうか?」と疑問を呈したら、みんなの中に少しずつあった疑問だったようで、一度ジャムはお休みにしようという事になってしまいました。

しかし、一度休んでしまうと「冬眠のように長い休みになってしまう」というのが、どうやらジャムの特徴だったようです。2003年の3月に休眠したジャムは、2007年に安部王子さんに呼び覚まされるまで、ずっと眠り続けてしまうのです。
しかし、その2007年までに、米本実氏と松島は、9時間弱におよぶ残った録音と格闘することになりました。名演部分を抜粋してリリースしようと、別の長い道のりが始まるのでした!

●音響ジャムセッションは、どのように編集されたか

音響ジャムセッションは休眠したけど、松島と米本実氏の前には、9時間弱におよぶ録音された記録があったのです。『単なるジャムセッションでした』と捨 てるには、あまりに惜しい、おのおののアーティストたちの「きらめき」が刻まれていました。同時に、「だらだらとした」部分もたくさん刻まれてました。これを、聴きまくって、面白かったり、はっとするような部分だけを選び出し、冗長な部分から切り離し、編集をしようというのです。編集するには、まずは全部 聴かなければなりません。聴けば9時間近くあるわけだけど、ニンゲンがものを真剣に9時間聴くのは、ものすごい重労働です!しかも、編集するためには、聴きなおしたりもするので、9時間以上聴かねばならないのです。二人は、その作業に取りかかったのです。

どこを捨てて、どこを残すか、とてもむずかしい。残しすぎると、切れ味がなくなってしまう。でも、短すぎれば、時間芸術的な盛り上がりを欠いてしまう。二 人は、とにかく聴いて聴いて聴いて、良さそうな部分をピックアップしました。そして、ピックアップしたところをパソコンに読み込ませ、その中で「切り張り」作業を始めました。どこで切るか、フェイドインやフェイドアウトは何秒にするか、何度も何度も試されました。真剣にやったあとはくたくたでした。1日やっ て、数曲分しか編集できなかったのです。二人とも忙しい日常のあいまにやっていたから、編集作業に取り掛かれるのが、何ヶ月かに1回という、超スロウなテンポで進行しました。だから、編集を終えるまで、2年以上がたってしまいました。

この編集作業が終わる前に、実は「音響ジャムセッション」は一度だけ復活してます。2004年の11月に、『シャボン玉な人々』という名前で、ふたたび渋谷ツインズよしはしでやりました。そのときのメンバーは、初回のキオト、松島、米本実に加えて、チェロと篠笛を弾きこなす星さんが、参加してくれました。 全体的に、和やかなセッションになりました。即興なのに、あらかじめメロディがあったかのようなニュアンス。チェロの持続フレーズが、そういう味を呼び覚 ましたかもしれません。それでも、松島が「ヘアドライヤー」と「ひげそり」の音しか使わない、というヘンなセッションもありました。惜しむらくは、この日 のお客様は3名のみ、ということ(演奏者のほうが多いよ)。この『シャボン玉な人々』は、なごやかに終了し、1回きりでまた休眠してしまいました。

さあ、米本実と松島の編集も大詰めです。2005年、とりあえず「面白い部分を抜き出す」作業を終え、今度はどういう順序で並べるか、という作業に突入。 松島が出した案がなかなか良く、「一気に聞かせる」パワーがあったため、すんなり採用されました。・・・・ただし、1枚に収めようと思った曲たちは、おさ まりきれず、2枚になってしまいました・・・・・捨てがたい曲が多すぎたのです。かわいくて、茶目っ気の多い曲を集めた『いちじくジャム』、ややシリアス で楽曲っぽい仕上がりのものを集めた『ざくろジャム』。

内容はできたけれど、アルバム・ジャケットはどうしよう。米本氏と松島は、前々から「即興音楽によくある、シリアスでデザイン・センスの高いような、えらそうなジャケットじゃなくて、かわいくて、へんてこで、女の子も、なんだこれ、と手に取ってしまう のがいいなあ」と考えていたのです。いろいろ検討した結果、昔マンガを描いていた松島が、動物2匹が森でお茶を飲んでいる、というイラストを2枚描きました。実はこのイラスト、ペンギン・カフェ・オーケストラの1枚目のアルバム・ジャケットへのオマージュなんですけど、気がついた方、いらっしゃるかしら?

この絵を、プロのデザイナーのキャンディ君という人が、破格値でデザインを施してくれて、安い印刷屋さんまでみつけてくれて、やっとジャケットができあがりました。これが、2005年の暮れです。この頃、おりしも「くじら」のメンバーが参加した「ザバカラクジラ」(ザバダックやくじら、などのメンバーから 構成される合体バンド)のライブがあり、そのライブ会場でジャムCD2枚の「初売り」がされました。大変好評で、売り切れてしまいましたが、このときかつてザバダックのプロデュースをしたことのある安部王子さんがいらしてて、そこでこの、ジャムCDが王子さんに手渡ることになるのです!

そして、2006年、王子さんは「ジャムの復活」を唱え、2007年5月20日、本当に復活してしまうのでした。さあ、新しい歴史が刻まれます。
皆様、レッツ・ジャム・ユア・ライフ!!

※2007年5月20日には、キオト、杉林恭雄、楠均(以上初期くじら3人)、いまみちともたか(元バービーボーイズ)、安部王子(R・O・M・A、元PSY・Sほか)、松島玉三郎鶴丸光、星衛の8人によって、音響ジャムは『まくわうりジャム』の名前で見事に復活しました。